これはもう処分しちゃってないものですが。心の本棚で。

母が『暮らしの手帖』のファンで、毎号購入していたので、我が家にはバックナンバーがずらっとありました。調べたら、花森安治と大橋鎭子で1948年に創刊しているな。これを私はたぶん、小学生の低学年くらいから読んでいた。隅々まで読んでいた記憶があります。1968年に93号とあるので、すでに100冊くらいはあったのではないか。

子どもの頃は、本もそれなりに買ってもらっていたけれど、それでも活字が足りなかったため、家にある読める本は何度も読んでいた。暮らしの手帖はお気に入りだったので、かなり読み返していました。…って、よく考えると変な小学生だわ。

「これは あなたの手帖です
いろいろなことが ここには書きつけてある
この中の どれか 一つ二つは
すぐ今日 あなたの暮しに役立ち
せめて どれか もう一つ二つは
すぐには役に立たないように見えても
やがて こころの底ふかく沈んで
いつか あなたの暮し方を変えてしまう
そんなふうな
これは あなたの暮しの手帖です」

という前書きが、表紙裏に掲げてあった。
独特の職人的なイラストやデザイン、装丁も好きだった。
広告をまったく掲載しないで、企業にも政府にもおもねらないという姿勢もかっこよかった。商品テストなどはガチでやっていた。

そんな文化を子どもの頃から刷り込んでいたわけだから。
まさに私のこころの底ふかく沈んで、人格形成に影響を及ぼしてきたと思います。

花森安治は、日中戦争勃発後の1937年には召集を受け満州に行っている。除隊後は大政翼賛会の宣伝部で、戦意発揚の広告宣伝にあたった。その総括が、『暮らしの手帖』の編集理念になっていったわけだ。
その、人としての、思いとメッセージが込められた雑誌だったがゆえに、子どもの私の心にもズドンと響き、何度も繰り返し読んだのだと思います。

そういえば私は、小学校の中学年位までなりたいもののトップは大工さんだったのだが、高学年になると、学級新聞などを作り、新聞記者になりたいと思うようになった。その後、紆余曲折を経て、記者にも編集者にもなったわけだから、ある意味夢を実現したと言えるのだな。ちょっと変わった記者と編集者だったので、夢を実現したことを忘れていました。

花森安治もヘビースモーカーだったので、心筋梗塞で亡くなっています。タバコはやめた方がいいです。

H30.6.22