伊勢福のお母さんが亡くなった。
山手駅からバイクで大和町の裏通りへ入ろうとして、「羽部家(伊勢福)式場」の看板が目を引いた。えっ?誰? 誰が亡くなったの? お父さんお母さんの上に、おじいちゃんおばあちゃんがいたのかな? 
もう少し行って町内会館の前に来たら、お葬式の準備をしていた。
バイクを停めて、中を覗いたら、お花の中に、お母さんの、大きな写真があった。

親戚でもないのに、町内会館の前で、ヘルメットをつけたまま、わんわん泣いてしまった。
羽部さんが出てきて、なぐさめてくれた。逆じゃんよ。

10日前には、「我が家の10枚」の写真をもらいに行って、はじめは最近の写真しか出してくれなかったけれど、後で羽部さんが自分の子どもの頃のアルバムを出してきて、お母さんがほこりを拭いてくれ、お母さんの若い頃の写真出すよー、と言って笑いあったのに。やってみよう祭では本当に、お母さんのたぶん20代の頃の写真も町内会館で写したのに。町のみんなが、あー、伊勢福のお父さんお母さん、若いねーって、笑いながら言ったのに。

お通夜の翌々日。
顔を知らなかった若いお母さんと、小さな男の子2人が我が家のチャイムをならした。「最近この先に越してきた○○です。今日は町内会費の集金に来ました」
感じのよい賢そうなお母さん。2歳だという下の子は、玄関先に出た私のところへやってきて抱きつく。2歳児のにおいが、へとへとな私の鼻腔に達し、オキシトシンがでる(?)。お兄ちゃんは5歳で、来年小学生。
うち、ウサギがいるんだよ。見る? みるみるー!!!
えーっ、いいんですか、すみません…

子どもと遊んで疲れたが、違う疲れですっかり気分転換。
お母さんとお茶飲んで、クッキー食べて、実は地元出身の人とわかって、小学校も中学校もおんなじじゃんとなる。「この町が好きで、結婚してもこの町に住み続けたいと思ったんです」。よりみち設計士の角野くんのことも知っていて。
そうそう、この前伊勢福のお母さんが亡くなってさ、と話したら、えっ? えっ? 嘘でしょう!? 彼女の目からもボロボロと涙がこぼれだす。
前は大和町に住んでいて、子どもたちが、本当にお世話になったんです…

私だけじゃないな。伊勢福のお母さん、亡くなったらみんなが泣きだしてしまう人だった。