昨夕はよりみちハウス2階事務室で、神奈川県立横浜緑ヶ丘高校バドミントン部OBOG会の幹事会をやった。OB会はバドミントン部を創設された藤井守一先輩(高2期)が、2003年から発起人会を組織、翌年創立総会をされたもの。

私は高校時代、バドミントン部には1年いたかいなかったかであった。まず、夏の合宿があまりにもハードだったので泣きが入り、おくてだったのが高校に入り遊んじゃって、軽音楽部にも出入りしバンドもやったりし始めたので、部活に出なくなってしまったのだ。
それでも、部室棟の部室で部の女子達で延々とトランプ(大貧民)をやっていたのをよく覚えている。

高校時代、OBとして教えにきてくれていたのが、元さん(中村コーチ)で、25年ぶりにコーチと山手駅で再開して以降、バドミントンを再開することになったのだ。

現役時代はいい加減な部員で、引退までやったわけではなかったので、正式なOBOG会の名簿には最初は私は入っていなかった。が、毎年体育館で行われる現役との交流試合が面白いので参加しているうちに、一昨年位からは、なんと副会長に任命されてしまったのです。

会長は長く神奈川県バドミントン協会の会長を務められ、全日本シニアでもずっと日本のトップの座にたち続けられてきた杉田博先生(高3期)。私が現役の頃は、立野高校の顧問をされていたので、当時は立野が非常に強かった。旭日双光章も受勲されたが、このところ体調を崩され療養されている。
私の上のもう一人の副会長は、常住明夫先輩。中村コーチと同じ高17期。JTBに勤務され、リタイアされた後は、横浜シティガイドや国際文化交流をやっている劇団曼殊沙華の裏方などボランティアで活躍されている。

横浜には日本最初の◯◯、というのがたくさんあるが、高校のバドミントン部では緑高バド部が日本初。創成期は当然のことながら先行利得(というかな?)があり、インターハイは常連。有名な選手を輩出していた。大先輩の時代はものすごく強かったわけですよ。

昨日の幹事会にみえていた並木伸裕先輩(高8期)も、立教大学在学中に全日本ダブルスで連続優勝されている。身長も高くかっこよかったので、国体の記念切手のモデルになっている。今でも紳士的で素敵です。昨日はじめて伺った話だが、歴史がお好きで邪馬台国を研究され、本も出版されていたのでした。

今年はその緑高バド部の創立70周年。気合いを入れてOBOGによびかけ直し、10月に行われる予定の現役との交流戦、総会、懇親会も盛り上げようと考えています。

すでに緑高バド部の栄光を歴史に刻んでこられた、小島一平先輩(高15期。1964年~1966年全日本学生でシングル優勝。1966年~1975年の間に全日本総合で8回優勝、全日本社会人で5回優勝。長くチャンピオンの座を守り続けた日本のレジェンド)にご参加いただくことも確認しています。

高17期の坂本聖二先輩も、バドミントンからスカッシュに行かれ、初代日本スカッシュチャンピオン。ずっと国内トップを維持され、シンガポールやタイでも王族とプレイされるなど、輝かしいスポーツ人生を歩んでこられた方です。トヨタの営業マンをやりながら、セールスマンとしてもトップだったそう。山際淳司のスポーツノンフィクション短編集『スローカーブをもう一球』(角川文庫)にも、「ギムナジウムのスーパーマン」として登場されています。坂本先輩にもぜひともご出席いただかなくてはなりません。

ともかく大先輩たちが偉いので下っ端の私たちはなにかと大変です。
それでも、事務局をつとめてくれる後輩なども、さす企業社会や官公庁で活躍しているだけあって、しっかり運営してくれ、心強い。

最近はバドの練習ができずにいますが、秋には久しぶりに試合にも出たいので、私もぼちぼち練習していきます。

そして昨日は、バドを再開し始めた時にダブルスを組んでくれた、同じ年の石渡千里さんが、小田原アリーナでシニアの予選。女子ダブルスで勝ち抜き、今秋名古屋で開かれる全日本シニアの出場権を獲得したのだ!
彼女は京都出身で、中学の時、全国大会に出場していたつわもの。ずっと中断していて再開した時に、少しだけ組んでもらっていたのですが、元々のレベルが違ったのでどんどん上に上がっていかれてしまったのでした。私をおいて…(>_<)
でも、千里の全日本シニア出場も自分のことのように嬉しい!
なんとか時間を作って、名古屋まで応援に行きたいと思います。

H30.6.24